第16章血縁者という枠組み から 自然界における血縁関係と社会
人間の家族関係は他の動物の血縁関係と比べると迷宮のように複雑だ
たしかに。自分も全然把握していないし、親戚関係を大事にしている人とか見ると、そこまで把握しているのか!?とびっくりする。
人間の心において社会は家族の拡張体と理解されていることになる。このために私たちは社会の仲間たちをまるで血縁者のように見るのだろう。
なるほど。。。そんな考え方をしたことはなかったけど、言われてみればそうかなとも思う。
それでも(略)血縁者を把握することと社会のメンバーを把握することは、たいていの場合それぞれに異なる問題に対処して解決策を導き出すために行われる別々の作業ではないかと思われる。
なるほど興味深いが…詳しくは次の節?
自然界における血縁関係と社会
サバンナゾウの少数の群れはしばしばまちがって家族とよばれるが、まったくのよそ者を集団に受け入れることもあり
最初からよそ者がいると思ったが、ちがうのか。過程のうちの1つに血縁者しかいないというのがあり、そこから交配が行われて家族になっていく可能性があるっていう感じなのか。なるほどなー。
繁殖するオスとメスは、時々平和裏に、ときには戦いの末に入れ替わる。それから10年、20年、あるいは50年後には地上の同じ場所にある一つの同じ社会がいろいろな血筋からの血統を次々とこっそり受け入れて、ついには社会を最初に作ったものたちとの血縁関係が全くない個体だけで構成されるようになる。
それはそうだな。人間もそんな感じだよなぁ
鎌倉殿の13人見てるので、坂東武者の一族に照らし合わせてしまう
ウマの群れにいるおとなはどれも血縁関係にないだろう。
ウマそうなの!?どちらかというと、野生の馬についてあまり知らないだけかもしれない。
生まれた社会から追い出された後に出会ったものと親しくなる
なるほどそういう仕組み
反対に雄たちは血縁者のそばに留まるが、最も親密にしている味方は血縁者ではなく(7)、相性の良い者である傾向が強い。社会性の高いチンパンジーどうしや乱暴者のチンパンジーどうしが仲良くなる。
相性というものをどう判断してるのかな。少し共同生活をしてみて、合わないと去る、みたいなものの結果なんだろうか。
乱暴者同志が集まるというのも面白いな。その社会の中では乱暴は起きていないのだろうか。
人間の場合には解決法がある。赤ん坊は子宮のなかで母親の声を聞いており、生まれてから三日以内に、その声と結びついた顔との絆を作る
こんな仕組みがあったんだ!
へえええええ、それは知らなかった。3日以内ってめちゃくちゃぼんやりした顔しか見えないはずだけど。。。
たいていの場合、動物は、信頼の置ける社会的なつながりと結びつくのであり、生物学的な家族そのものと結びつくのではない
めっちゃ合理的だ。。。
他の離合集散をする種と同じように、人はうまの合う人を探し求める
心理的安全性がたかいのはやはり同じような価値観や振る舞いをするっていうのおもしろいなー。そのうえで人類は多様性に取り組むの、あじわいぶかい。